ホンダという会社は、技術者本田宗一郎氏と商売人藤沢武夫氏の二人三脚で成長を遂げた会社である。
2人は戦後阿佐ヶ谷で知人の紹介を受け初対面することになった。
当時本田氏は43歳、藤沢氏は39歳。本田氏も藤沢氏も戦前・戦中にいくつか起業・社長としての経験を既に持っていた。
本田氏は東京で事業を拡大したいと思っており、藤沢氏は何か大きな事業をしたいと思っていた。
藤沢氏の述懐(経営に終わりはない)によると、
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「初対面のときは、とくにどうということはなかった。ああ、これがあの人かという感じ」
(藤沢氏は本田氏の名前を戦中取引先経由で知っており、技術では有名だったらしい)
「本田のほうもどう思ったがしらないが、とにかく手を結ぼうといってきてるのだからよかろうというようなものだったか、おれの望みを叶えてくれる相手がいたということで飛びついてきた、というところでしょう。」
「私はなにしろ仕事がしたかった。自分の持っている才能の限界を知りたいということが、私の夢だった。そして本田も、自分の持っている力を知りたいということですね。二人ともそれではなかったでしょうか。」
そして、本田氏が
「金のことは任せる。(中略)けれども、何を創り出すかということについては一切掣肘を受けたくない、おれは技術屋なんだから」
といい、藤沢氏は、
「それじゃあお金のほうは私が引き受けよう。ただ、今期いくら儲かる、来期幾ら儲かるというような計算はいまたたない。(中略)機械が欲しいとか何がしたいということについては、一番仕事のしやすい方法を私が講じましょう。あなたは社長なんですから、私はあなたのいうことは守ります。ただし、近視眼的にものを見ないようにしましょう。」
本田氏「それはそうだ。おたがいに近視眼的な見方はしたくないね。」
藤沢氏「わかりました、それでは私にやらせてくれますか」
本田氏「頼む」
というわけで三分か五分で話はきまりました。
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創業者としての必要な二人を考えると、会ったその日に5分で一緒にやれるか決められる、ということは、それぞれがきちんと専門能力を持っており、お互いその能力が自分に無いものである、と瞬間的に感じられるからであろう。
本田、藤沢の両氏は、会った時に相手がどんな人なのかを詮索することがなかったそうだ。だから一緒にやれると即断できたし、良い関係を継続できた。
自分に軸がない人間はそうならない。自分個人の役割を認識し、より大きなものを作り上げる為に、それを生かそうと思った二人からこそ、そうなれたのだと思う。
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