ちょっと、ベンチャーの話題からそれて、今話題のホリエモンのネタに遅ればせながら、取り組んでみたいと思う。私の気になる視点としては、コンテンツ流通の需要と供給の問題と、放送業界の言う公共性・モノ作りの問題である。
従来TV・ラジオといった放送業界は、許認可制の規制産業であった。ホリエモンの出現は、資本市場の問題だけでなく、インターネットによるコンテンツ流通の民主化を意味していると思う。
つまり、映画、音楽、バラエティ、報道等のコンテンツを作りたい、と思う人は従来から非常にたくさん存在し、これからも存在し続けることであろう。しかし一方で、それを流す流通チャネルは、12チャンネル+ケーブル・衛星といった限られた数しかなかった、ということである。
今までは、コンテンツを作りたい人が100万人いたとしても流す枠は12チャンネル+アルファ分しかないので、その流通網にいた人達(広告代理店も含む)は、これらの利権を牛耳って既得権益を享受していた、という訳である。ちょっとやっかみも入るが、東証上場企業の従業員平均年収ランキングに、フジテレビ1位、日本放送11位、広告代理店も上位に入っていることは偶然ではないだろう。
インターネットがこなれてくるにつれて、コンテンツはより簡単に製作することが出来るようになり、その流通も多様化している。例えば、このブログに関しても、簡単に文書を公表できるようになっているし、音楽にしても映像にしても、誰でも配信することが可能になっているのである。その結果、コンテンツを供給する人の数はますます増え、それを流す流通網は12チャンネルどころの話ではなくなってくる。
つまりコンテンツの供給サイドは益々増え、流通網は益々増えてくる、のである。しかし一方で視聴者の余暇の時間は有限であるので、今まで12等分していたものが、可能性としては無限大等分されてしまう、ということになる。
過去の事例を見ると、証券業界もかつてはハイマージン構造が許されていたが、ネット証券の参入によって、業界構造が崩された。又、本や中小企業の流通構造の変化もしかりである。
放送業界は今まで業界構造を閉鎖的にし、新規参入がない状態だったが、本来資本がかかる産業(例えば石油や重電のように設備投資のリスクがあり参入ができない業界)でない以上、今後新規参入によるパイの奪い合いの競争は避けられない。次第にシェアを食われ、今までのハイマージン構造を維持できなくなっていくだろう。
テレビがなくなる、ということはないかもしれないが、広告のシェア、視聴者の時間のシェアは奪われる一方であろう。人々は規制産業が変化してきた事例を過去10年でたくさん見てきている。
ネット証券、アマゾンドットコム、固定電話の加入者の減少、等。
次は、公共性とモノ作りという観点からマスメディア・放送業界を説明しようと思う。
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